2013年3月16日土曜日

二宮史学の不思議


 3月23日(土)に京都大学で開かれるコロクにも、5月12日(日)の西洋史学会大会シンポジウムにもかかわりますが、関連して、二宮宏之(1932~2006)さんのお仕事について、「礫岩政体と普遍君主:覚書」(『立正史学』 2013年5月刊で二言したためました。その最後の段をちょっと抜粋させてください。

【前略】
A. 「フランス絶対王政の統治構造」およびこれと不可分の「社団的編成と「公共善」の理念」が一揃いになって、フランス社会史および国制史の研究蓄積を知悉した二宮による近世王国の社団的編成と理念的統合の議論であり、これがまた、「六角形のフランス」というフランス史の人びとを拘束し続けた枠組への批判にもつながるものであったことは、いまさら言うまでもないでしょう。編著『深層のヨーロッパ』(山川出版社、1990)もその一つです。

B. しかし、1990年代以降になると、こうした多様で複合的で可塑性の政治社会や政治文化にはあまり論及することなく、からだとこころ、地域/家族の(顔のみえる)共同体に沈潜されたようにみえます。たしかに『マルク・ブロックを読む』(岩波書店、2005)では アルザス人、フランス人、共和主義者としてのブロックの重層的アイデンティティが語られていますが、エトノスの複合性をふまえたうえでの res publica 論やホッブズ的秩序問題、あるいは思想史・概念史(history of ideas)にかかわる議論は棚上げされたかにみえます。その理由については、宿痾のことがあるから軽々には憶測できませんが、それにしても、晩年の二宮の文化史的な内向の磁力が、追随する若手研究者におよぼす抑制的影響力をわたしは懸念しています。

 二宮は今でもすばらしい。その文章は人を魅惑します。だが、「六角形の枠組」をこえなければならないとくりかえされながらも、2000年代の内省的二宮は、六角形をこえて内外に浸透した秩序問題、そして概念史、世界史へと研究を広げようとする者にたいする抑止力でもありました。あたかも高橋幸八郎(1912~82)の理論的かつ個人的な魅力/呪縛が、1960年代・70年代の二宮と遅塚忠躬の自由な飛翔を抑止したのと似ているかもしれない。

 二宮はまた、G.ルフェーヴルの「革命的群衆」論文が集合心性の研究への橋渡しとしていかに枢要だったかを強調しますが、なぜか同じルフェーヴルの「複合革命」論には言及しません。柴田とも遅塚とも違って、二宮は革命の情況性にも国際的条件にも言及しないといった不思議が、わたしたちの前に残されています。 【中略】

 ‥‥根本的なところで、二宮宏之と E.P.トムスン(1924~93)には共通点があります。わたしは両者を批判的に継承したい。『二宮宏之著作集』第2巻「解説」(岩波書店、2011)にも書いたとおり、偉大な先達のたおれたあと、未完の課題を引き継いで前へ進もうというのが、わたしの立場です。
(C) 近藤和彦
 

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